ビルマ(ミャンマー)チークの歴史と現状

世界の3大銘木の1つに数えられ、高級材として知られるチークの植物名はTectona grandisで表記され、自生地であるインドのサンスクリットではサカ(Saka)、ミャンマー(ビルマ)ではKyoon、タイではMay Sak、と呼ばれている。自生地のインド、ビルマ、タイ等では古くから有用木材として利用され始めた記録が残っている。インドでは既に2000年以上も前から使われ始め、今でも、1000年以上前に建立された寺院などでその当時のチーク材は見られるとの事である。すなわちチーク材は風雨に曝されない所では半永久的な耐久性を持つ木材であることが分かる。その有用性のためこれらの自生地以外の地域でも古くから植林が行われ、特にインドネシアでは100年以上も前から計画的に植林が行われ、Jati(Jawa Teak)として世界の木材市場での地位を確立している。

チーク材が世界的に流通するようになったのはビルマが英国の植民地となり、英国が海洋覇権国家としての地位を維持するために、造船用木材としてチーク材の有用性を認識した時からである。19世紀から20世紀初頭にかけて、インドのカルカッタで作られた英国の商船は全てミャンマーチークが使用されたと言われている。20世紀初頭までに、チークは世界市場での地位を確立し、ビルマはその主要供給先として認知され、植林材がある程度豊富に流通している現在でも、高品質チーク材の供給地としてのビルマ(ミャンマー)の地位はゆるぎないものである。

チークが世界の3大銘木に数えられ、最も有用性の高い木材の1つである事に異論を挟む余地は全くないが、評価される理由は使用される場所、目的によって大分異なるようだ。19世の英国は他のヨーロッパ列強と植民地拡大の熾烈な競争をしており、海軍力の強化維持が最も重要な課題で、そのためチークの高い耐海水と銃弾によって裂けない性質が特に評価されたと言われている。しかし、チーク材で最も優れた特性はその高い耐用性である。先にも述べたように、インド、ミャンマーなどで建立数百年以上の建物より材料として使用されたチーク材がいい状態で確認されている。
ミャンマーではチーク材は建築、家具、造船、ドアー・窓枠、客車、桟橋、橋そして彫刻など様々な用途に使用されている。植民地時代から第2次大戦まで、当時のビルマでは年間50万トン程度のチークが伐採され、その半数以上は造船用材として英国植民地化のインドへ輸出されたと言われている。

今日のミャンマーには610万へクタールのチーク林があり、年間の適正伐採量は50-60万立方メートル程度と言われている。現在、年間原木で約15-16万立方メートル程度、製材品等の加工品で約12-13万立方メートル程度輸出されている模様。世界中各地にチーク材の植林が行われ、木材市場に流通し始めているが、将来においても厳正な管理の元で計画生産が行われるならば、ミャンマーチークの名声が失われる事は無く、むしろ、植林材との品質及び生産量の相互補完関係が確立され、ミャンマーチークの名声は今後もさらに高まると予想される。